私たちは日々生きていると、様々な悩みや課題にぶち当たる。
心の中で漠然とモヤモヤしたまま日々を送っていたり、「生きるのが辛い」という境地に立たされている人もいるだろう。
この「反応しない練習」という本では、ブッダの考えに基づいて、現実と向き合いながら幸せな人生を送るために必要な考え方、心の保ち方が書かれている。
ブッダというと、仏教だから宗教でオカルト的なイメージを持つ人もいるかもしれないが、これは間違いだ。
仏教の考えは、現実とまっすぐに向き合いながら、かつ合理的な考えだ。
現代に生きる我々にとっても普遍的で重要な考え方が詰まっている。
今回の記事はこんな人にオススメ
- 悩みを抱えている人
- 感情の起伏がある人
- 人間関係がうまくいかない人
生きることには苦しみが伴う
まず、仏教においては最初に興味深いと思ったのが、「生きることには苦しみがある」とハッキリ名言している所だった。
世の自己啓発本には「ポジティブに考えよう!」「人生は楽しい!」というような、無理して人生に対して明るい希望をもたせるような雰囲気があるが、
ブッダはまず「生きることには苦しみが伴う。だからこそ、その現実の中で生きる上での苦しみから脱するにはどうすればよいか」を説いているのが、このブッダの超合理的かつ現実主義な教えなのだ。
すべての悩みの原因は心の反応
私たちには必ず悩み、苦しみがあるはずだ。
一見、幸せそうに見えている人でも、「悩みが一つもない!」という人はごく少数だろう。
そしてその悩み、苦しみはどこにあるのだろうか。
それは心の反応にある。
心の反応とは、私たちが日々生活している中で、外から受ける刺激に対する心の反応。
嫌なことを思い出して怒りを感じたり、劣等感や嫉妬、自己嫌悪。
これらすべてが心の反応だ。
確かに、私たちはスマホを観てテキトーに反応して悲しくなったり、怒ったり、目的もなく心がさまよっている。
心がさまよっていると、ぼんやり感、虚しさ、退屈を感じてしまう。
これは仏教において快と不快のどっちかというと不快、つまり自分を不幸にする、苦しみを生み出しているものだ。
快というのは、楽しさ、充実感、達成感があり、幸せを感じられることである。
不快というのは、不安、恐怖、焦りなどの負の感情。
幸せになるためには当然、快を感じられるモノゴトを増やし、不快を感じるモノゴトを減らせば良い。
心の反応には理解することだけに努める
ならば、その「心の反応」を消すにはどうすればよいか。
具体的な方法が提示されている。
それは、心の反応が来たら、それをただ見る、理解するように努めることだ。
怒りを感じたら、「私は今、怒りを感じている。」とただ理解する。
そこで感情に引っ張られて反応しない。
ただそれだけだ。
理解するための方法
それでも「怒りを感じたら止められない。自分を抑えきれない。」「あの人のことが嫌いでたまらない!」と、心の反応を止められないという人もいるだろう。というかそういう人がほとんどだ。
そこで仏教の教えでは、心を前と後ろに分けて考えるということを説いている。
まずは目を閉じて、前を向く心と、心の内側を見る心をイメージしてみるのだ。
例えば人間関係においては、まずは前を向く心で相手をただ見る。
相手の言っていることに対して反応はしない。
ただ「理解する」という立場に努める。
そこで相手の言うことがわかるなら「わかります。」。わからないならよく質問するか、「今はわからない」と理解する。
対して後ろの心。すなわち心の内側を見る心。
そこでは、自分の「反応」を見るのだ。
怒りを感じているか、相手への疑い、緊張、不安が生じていないか。
そういった反応がある事自体は普通のことなので無理して鎮める必要はない。
ただ、「心の後ろ半分は、自分の心を見る」ことに使うのだ。
これが「理解」であり、「反応しない」ということなのだ。
何より重要なのは心の状態をよく見ること、意識すること。それでムダな反応は止まり、心が静まり、落ち着いて生活する事ができる。
無意識な”妄想”を手放す
また重要なのは、反応をすればするほど「妄想」に支配されて自分から不幸になっていくという事実だ。
妄想ーこれは想像したり、考えたり、思い出したりと、頭の中でボンヤリと何かを考えている状態だ。
「あれこれとつい余計なことを考えてしまう」「落ち着いてモノゴトに取り組めない」という悩みに繋がる。
この妄想というのは非常に厄介。
無意識に頭の中で無限に繰り広げられるものだからだ。
こういったまた、私たちの記憶もまた妄想。
例えば、過去にいじめられたという記憶があり、それがトラウマで、上手く人間関係を築けないという悩みがあるとする。
なにか過去にわだかまりがあって、それが今でも引きずってしまって苦しみを抱えている人は多いのではないだろうか。
しかし、その記憶も実は妄想に過ぎないとブッダは言う。
記憶というのは、今の現実には起こっていない、自分の頭の中にだけあるモノ、つまり妄想なのだ。
ご理解いただけただろうか。
私たちはこういった妄想に苦しんでいる。
ならば、無意識に起こる妄想をリセットできれば、苦しみから抜け出すことができ、幸せな人生を送ることにつながるのだ。
妄想をリセットする
ならばどうすればこの厄介な妄想をリセットできるのか?
その基本も「理解」が基本としてある。
「今、妄想している」と客観的に言葉で確認して理解する。
これが、妄想を脱するための基本だ。
そして次に、「妄想している状態」と「妄想していない状態」とを区別すること。
例えば、今、目を閉じてみてほしい。
次に、目の前に広がる暗がりの中で、何かを思い浮かべてみる。
今朝食べたもの、さっき観たアニメ、なんでも想像してみる。
次に、目を開いて、外の世界を見る。
部屋の景色、外の景色をよく眺めてみてほしい。
この時、さっきまで脳裏に浮かんでいた映像、想像は存在しない。
「さっき浮かんでいたものは妄想である」「今見ているのは、視覚であり、現実である」とハッキリ意識するのだ。
こうして、「妄想」と「感覚」の違いを意識しながら、「感覚の方に意識を集中させる」練習を積んでいくと、「妄想から抜ける」ことがうまくなってくる。
ここでは「視覚」という形で妄想を抜け出したが、他にも聴覚、触覚、味覚でも、妄想と感覚をハッキリ区別して、感覚の方に意識を向けることを習慣にする。
すると苦しみから抜け出すことができるのだ。
厄介なクセである「判断」
また、私たちが悩み苦しんでしまう理由の一つとして「判断しすぎる心」がある。
この判断というのは、この仕事に意味があるのかないのかとか、自分は生きている価値があるのかどうかとか、自分はアイツよりは年収が高いから優れているなど、といった「決めつけ」「思い込み」のことだ。
「どうせ自分なんて」というのも判断。
「もう人生終わった…。」「俺はダメ人間だ。」という失望も判断だ。
こうした判断は数々の悩み事を作り出し、人生の苦しみにつながる。
もしムダな判断をやめれば、心はスッキリと晴れやかになり、生きやすくなるだろう。
判断をしてしまう理由
判断をしてしまう理由は、「判断すること自体が気持ち良い」ということだ。
物事の善し悪しや正しい、間違っているという判断は、それだけでわかった気になれる。
そしてもう一つの理由は、「判断することで認められたような気分になれる」ことだ。
例えば、誰かとケンカした後に、「あの人はここが間違っている」などと振り返ることがある。
その後に友達に電話をして、「それはおかしいよね。あなたは間違っていない。」と、第三者に認められようとしようとする承認欲が働いてしまっているのだ。
判断することには、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲求を満たせる)快楽があるのだ。
だからみんな、判断するのが好きで、そこに夢中で、結果的にはその判断に酔って苦しめられているのだ。
判断はムダで非合理なこと
判断というのはそもそもムダで非合理なことだ。
例えば、学校の偏差値、年収、SNSのフォロワーなど、誰かが勝手に決めつけた価値基準に従いながら、優劣を判断しては、優越感を感じたり、逆にムダに劣等感を感じて自己嫌悪をしたり。
これはまさに、1人で勝手に心の反応をしまくっては、悩み苦しむ。
これでは優越感を感じれなければ怒り、不安という負の感情が湧いてくる。
自分の心が常に外側に向いていては、気分の浮き沈みが激しくなり、まさに心の反応をしまくっている状態。
多くの人々は、心のよりどころを心の内側ではなく、世俗の世界(外の世界)に求める。
お金、モノ、世間から称賛されそうな地位や職業といった記号。
自分が幸せになるための答えは「世の中」にある、
だから頑張ってそれを手に入れればきっと満足できると信じているのだ。
しかし、そういった価値基準にすがりながら生きていては、心の平穏はいつまで経っても心の平穏は訪れないし、悩みや苦しみを抱くことになる。
私たちには欲や妄想などの反応はある。
だから求めては失望し、その繰り返し、心の輪廻から抜け出せrないのだ。
その真実の姿に我々は早く気づくべきだ。
まとめ:自分の心に意識を向け、他のものにすがらない
ブッダ自身は、「自分自身」と「正しい生き方」のみをよりどころにして、他のものには決してすがるな、と伝えていたことだ。
自分自身というのは、自分の心だ。あれこれ妄想したり、判断したり、欲に振り回されることのない、ドッシリと構えた心。
それこそが、仏教の目指す、まさに「生きることには苦しみが伴う。だからこそ、その苦しみをなくそう」という考え。
すなわち自分が納得できる幸せな人生を送ることにつながるのだ。
そして正しい生き方とは、以上で解説してきた心構えを土台として、自分がどう生きるかという指針のことだ。
ここまで解説すると長くなるので、興味を持った方はぜひ手に取って読んでみてほしい。
ちなみにKindle Unlimitedでも読めるので、そちらも是非。
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