今回の記事は、なんとなく生きづらさを抱えている人に向けた記事だ。
生きるのは本当に面倒くさいし疲れる。
答えがない問題の方が多い人生で、自分に適した選択を考えるのが面倒くさい。
例えば進路だとか、働き方とか、人間関係とか、お金とか、健康とか、何か悩んでいることや不安があって、それに対して「どうしたらいいのか」を考えることが面倒くさい。
そこで今回は、上手に生きている人が無意識にできている考え方を、生きづらさを抱えまくっている私がなんとなくで考察してみるという内容だ。
少しネガティブな内容になっているが楽しんで読んでいってほしい。
妥協
まず必要なのは妥協。
人生には、答えのない問題が多い。答えがあるのは受験や資格試験だけだ。
そもそも「どうしたらいいかがわからない」というのは、「こうすればいい」という明確な答えがないから起こる状態。だから自分にとって適切な答えを模索する。
それが人生というもの。自分で切り開いていくのが人生だ。
そこが面倒であり、誰もがそう感じるときはあるだろう。
しかし、多くの人々はそう思いながらも、現実と折り合いをつけながら、妥協しながら生きている。
つまり今この世で普通に生きている人は、妥協するのが上手い。
理想を高く追い求めすぎて時間と精神を無駄にしたりせず(理想を追い求めるのは大変良いことだが、それが行き過ぎると身を滅ぼすということだ)、周りと同調しながら柔軟に生きることができてる人だけが、生き残っている。
どこまでいっても妥協できない人が、”社会不適合者”と呼ばれる人だったり、人生を諦めて自殺をしたりする人なんじゃないかと思う。
かなり抽象的な話だが、妥協できない人というのはつまるところ、「柔軟性がある」ということだ。
環境に適応し、時と場合に応じて思考と行動を変えられる。否、いい意味で思考停止してるので、変えられるというか特に何も考えていない。どうでもいいことに頭のリソースを割かないのだ。
妥協ができるということが、上手に生きている人の第一の特徴だ。
人生は暇つぶし
私は、好きなことをしてる時(ゲームとかアニメとか本読んでる時とか)は、それに集中してるから何も考えないけど、空白の時間があると何もかも面倒臭くなって、「生きるの面倒くさいなー」となってしまう。
何も考えずにリラックスする時間は必要だが、その空白の時間が長すぎると、不安になったり悲観的なことを考えたりする。
「生きることが面倒くさい」と思う人は、暇をつぶせる趣味を持つことで、少しはその感情は軽減されるかもしれない。
ふと興味が湧いたものに手を付けてみたり、前から行きたかった場所に無計画に行ってみたり。
そもそも人生はクソつまらない暇つぶしみたいなものなので、思うがままにしたらいい。
人生はクソゲー
そもそも私たち人間は、この世に生を受けた時点で面倒なことを強いられている。
まず、私たちは自分の意志で生まれてきてはいない。
(言い方は悪いが、)親のエゴによって子どもは生まれる。私たち自身が望んでこの世界に生まれたのではない。
ここが人生のクソなポイント。
そこから幼稚園、小中高と学校に通って、そこから大学か就職かなどの進路選択。
就職をして自立したなら、残り40年ほど働いて、定年になったら退職して、のんびりと余生を過ごす。
これが多くの人々のいわゆる”普通”の人生。
しかし、これすらも面倒くさいし、特に社会不適合者の私にとってはハードルが高すぎる。
また、人生は運要素もかなり多い。
また、更に面倒臭いのは、「生きるの面倒くさいな〜」と思って人生をリタイアしようとしても、そこには自殺という面倒くさい作業がある。
薬、首吊り、飛び降りなど、沢山の方法はあるが、どれも軽々しくできるものではないし、苦しい上に、成功する保証はない。
だから人生は、リタイアするのにも手間、苦痛、勇気が必要な、面倒なクソゲーなのだ。
この人生というゲームの製作者は本当に頭がおかしい。
それでも生きる
かと言って、こんなことをずっとぼやいている私も今生きている。
このクソゲーを自らリタイアした人もいる。
それが自殺をした人だ。
自殺した人は、理由は様々だけど「生きるのが面倒」となって人生ゲームをリタイアした訳だけど、私はチキン(臆病者)なのでそういうことはできない。
そういったチキン達はリタイアできないので、死にたいと思っても、結局はダラダラと生きることに落ち着く。
そこでどうしたらいいかというと、なるべく「生きるのが面倒臭い」と思わないように、つまり、「生きることは面倒くさくない。楽しいことだ。」と自分を騙すということが重要だ。
そもそも人生ってのは、デフォルトでクソなのは間違いない。(私みたいな、遺伝的に普通の人よりも劣っている人間は特にクソだ)。
しかし、クソイベントとかクソ仕様だらけのクソゲーであっても、ハッピーに感じられることも時々ある。
だから、「生きるのが面倒くさい」という人間にとってのベストな生き方は、楽しいことの比重を増やしつつ、面倒くさいことは最低限、いい加減にやることだと思う。やめてもいい。
また、自分の「生きがい」と言っちゃアレだけど、「これさえあれば生きていける」というものがあるといい。
健康な体、お金、趣味とか、これだけあれば少なくともそれなりに楽しく生きてはいけるってのを把握して、それを手に入れるための最低限の努力をする。
努力と言っても難しく考える必要はない。未来のことを考えてると辛くなるので、気力が湧いてきたら「少しは何か初めて見るか」と腰を上げればいい。その時が来るまでは何も考えず自分の好きなことをしてればいい。
それが、人生をうまくいきている人が持っている「楽観」だ。
楽観
人生はクソ。それは間違いない。
けれども、多少は楽しいこともある。
惰性で生きるのも、テキトーに周りを気にせず生きるのも自由。
真面目に働いて、周りにいいように見られるように頑張る必要はない。
クソみたいな世界だと嘆いていても、どうせ生きるんだから少しは楽観的に人生を捉えられるようにしてみてはいかがだろうか(難しいかもしれないが)。
まとめ
結論としては、生きるのも死ぬのも面倒なので、やはり生きるしかない。
自分の状況を客観的に見て、必要なもの(金、住む場所、仕事)と不必要なもの(無駄な人間関係、見栄、プライド)を冷静に分けて、割り切って、必要なものを揃える努力を少しずつ重ねていくといい。そして、不必要なものは少しずつ捨てていく。
かと言って、この作業を焦ってやる必要はなくて、人生は長いからゆっくりやってけばいい(「時間は有限ですよ!」と言って急かす人もいるが、聞かなくていい。私はこの言葉が嫌いだ)。
あと、面倒くさいと思った時は徹底的に休んだ方が良い。
拒絶しているからこそ「面倒くさい」と感じる。
一旦離れて、英気を養ってからまた1から、いや、0からやっていけばいい(レム風)。
自分の心の声ではなく、周囲の人間の無責任な言葉ばかりに耳を傾けているから、全てが面倒になるのだ。
以上。社会不適合者の戯言でした。
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