社会不適合者は、無理に社会に適合しようとしなくてもいいよという話

人生論

私たちは生きている限り、国、会社、学校、家族などの集団、社会に属しながら生きており、

その中で適応していけない者が「社会不適合者」と呼ばれ、生きづらさを抱える。

周囲とのズレを感じて自己嫌悪に陥ったり、鬱やパニック障害を発症したりする。

こういった流れは社会不適合者の典型パターンだと思う。

しかし私はふと思った。

「私は社会に適応できないのだから、無理して適応しようとしなくてもいいんじゃないか?」と。

だって、私はこれまで18年生きてきたが、今まで集団生活でうまく行ったことがなかった。

中学では場面緘黙症とイジメ、そして孤立、高校中退と、普通の学生生活が送れなかった。

ここで、世間一般の”普通”のハードルがとんでもなく高いことに気づいた。

また、自分一人いなくなっても社会全体からしたらどうでも良いことにも気づいた。

社会に適合しようとしない

だったら、無理して歯を食いしばりながら社会のレールに乗るよりも、そこから勝手にズレてテキトーに生きるのが、私には合っているのではないか。

明日のことも考えるのも面倒だから、とりあえず今日だけ楽しければいい。

世の中の多くの人々は会社に就職して、毎日働いているのだから、社会不適合者の私たちくらいは何もしなくていいだろう。

お金は必要になった時にバイトなりすればいい。

まずは自分の心を満たしてあげて、その中で働きたいと思える仕事が見つかったならやればいいし、働きたくないのならもうそれで良いだろう。

周りの大人は「大卒の方が将来は楽」だとか「ちゃんとした大学に行ってちゃんと就職しなさい」だとか言ってくる。おそらくそれは事実だし、そうした方が将来的には楽なの”かも”しれない。

しかし、社会不適合者はこれらを真に受けて頑張ってもいつも空回りしているのだ。

良くも悪くもまじめすぎて、どうでもいいことを気にしては勝手に自分を傷つけては自滅している。

なら、いっそのこと、やりたくないことはすべて捨てて、自分の好きなことをした方が良いと思う。

多少は人に迷惑をかけるかもしれないが、それでも「生きる」ということ自体が、社会なり人なりに迷惑をかけているので心配はいらない。

誰にも迷惑をかけずに、本当の意味で孤独に生きている人などいないのだから。

「生きてて欲しい」と思っている人も身近にいる

私たち社会不適合者は、時に「私が生きてる価値はないな…。」と無価値感に襲われ、死にたくなることもある。

しかし、私達がいるおかげで「ありがたい」と感じてくれる人もいる。

「いやいるわけないだろ…」と思ったかもしれない。

私は学校でも家でも何もうまく行かず、どうせ将来は「何の役にも立てないんだろうな…」と思い、自殺しようとしたことがある。

それは未遂に終わったが、その後、姉に「自分(姉の一人称)はお前が生きててほしいって思うよ。」と言われてから、その時に初めて自分が生きててもいいと感じて、少しは生きようと思えた。

精神を病んだ社会不適合者は「自分は誰からも必要とされてないから、さっさと死んだ方がいい。」と考えることもあるだろうが、あなたに「生きてて欲しい」と思っている人もいるのだ(普段は口には出さないが)。

私たちがここまで生きてこれたのは、誰かが「生きてて欲しい」という思いがあったからなのだ。

まとめ:後先考えない生き方が社会不適合者には合ってる

さて、ここまで語ってきたが、結局のところは、社会不適合者が快適に生きるには「社会に適合しようとせず、やりたい放題しろ」というしょうもない結論に落ち着くのだ。

「将来のことを考えろ」とか「これだと就職先がないぞ」とかは全無視。

未来のことを考えるから辛くなる。

だったら今は、自分が辛いことはすべて切り捨てて、自分の心の中の声に耳を傾け、いい意味で自暴自棄になった方がいい。

「押してダメなら引いてみる」という発想で、無理に社会に適応しようとせず、今を楽しく生きることに注力しまくると、結果的にうまくいくと思うのだ。

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