【経験談】パニック障害と俺の人生についての話【精神疾患】

人生論

最近また憂鬱な気分になってメンタルが病んできた。

しかし相談する相手もいない私はこの胸のモヤモヤを晴らすことができないので、せめて文章にして吐き出したいと思う。

今回は、私が中学時代からあるパニック障害と、それが私の人生に及ぼした影響について。

これは別に「パニック障害のせいで人生が狂った」とか言うつもりはなく、ただ私が今かけているパニック障害が私の人生にどう関わってきたのかを整理するために書いた記事だ。

私のような精神疾患を持っている人がどのような人生を送っていて、どんな世界が見えているのかを理解する手助けになれば、これほど嬉しいことはない。

それでは本題に入る。

声を出すことへの恐怖と不安

始まりは小学高校学年あたりからだ。なんの前触れもなく、人に声をかけることが怖くなり、その日以来から声を出すことができなくなった。

これは場面緘黙症と言い、コミュ障とは異なるものだ。特定の場面において声が出せなくなるという精神的な症状である。

そこから人と関わることが少なくなっていき、人間への恐怖が大きくなっていく。

人からの視線を過度に気にして不安になったり、学校の教室で休み時間などにクラスで雑談をしている複数の生徒を見て「俺の噂話してるのかな…。」などと被害妄想をして不安になったりと、

とにかく私には安心できる場所がなかった。毎日不安で気が気じゃなかった。

イジメで更にパニックはエスカレート(人が怖い)

そんなクソみたいな精神状態で中学に上がり、当然、声を一つも出さないので学校では孤立していた。

それだけならどれだけマシだっただろうか。

私は中2の頃からいじめを受け始めた。

殴る蹴るは当たり前で、パシリや課題の提出など、本当にひどい目にあった。

私は声が出せず抵抗ができなかったので、言われるがままだった。

中3に上がってクラスが離れてからはいじめもぱったりとなくなり、クラスのみんなも優しかったが、結局卒業まで特に仲の良い人は一人もできず終わった。

人への恐怖は強まるばかり

高校に上がると環境もガラリとかわり、中学時代の私を知っている人もいないので、少しは声が出るようになった。

人と話すと本当に緊張してしまうが、質問に対する回答や、簡単な雑談ならできるようになった。

しかしその時点で私の人間に対する不信感と恐怖は強大なものとなっていたので、心を開く人ができず、ずっと一人だった。

高校では受験勉強に熱中していたが、それも生きたい大学があったわけではなく、ただ目の前の現実から逃げるためにしていたのだろうと強く感じる。

そこから不登校→退学→ニート半年という社会不適合者よくばりセット生活を送っていた。

退学してからはまともな精神状態を保つことができず、結局受験勉強からも逃げてしまった。

前述したように私は行きたい大学が特にあったわけではなく、救われたかったのだと思う。

「とりあえず偏差値の高い大学に行けば今の状態から救われるかもしれない。」

そんな偏差値教育の生み出した支離滅裂な思想に私は染め上げられてしまっていたが、

特に偏差値の高くない普通の大学に入学してから思った。

大学に行ったところで今の現実は何も変わらない。

人間関係という生きる上で欠かせない要素を私は手に入れることができていない。

その現実から目を背けていては、私はずっと苦しいままなのだと。

パニック障害は地獄

私は精神科にて、パニック障害と不安障害を診断されている。

具体的な症状は、人の多い場所に行くと過呼吸になったり、恐怖や不安を感じて冷や汗を感じたり、ストレスが更に高まると頭痛や蕁麻疹がでることもある。

正直言って、これはマジで地獄。

外出するのが怖くなるし、私は人に対する恐怖心も人一倍高いので、外に出かけるのが苦行だ。

家から帰ってきたときには体がどっと疲れていて、すぐに眠くなる。それで17時とかよくわからない時間帯に寝て、よくわからない時間帯に起きる。

生活習慣を保つのもなかなか難しい。

地獄の中でも苦しみを減らそうと努める

パニック障害は地獄。本当に死にたくなるほどの恐怖と不安に襲われることもある。

実際、私はそれで自殺を試みたこともある。

しかし、わたしたちがこうして生きている以上は、生きるしかないのだ。

恐怖と不安に襲われるのならば、その恐怖と不安を少しでも減らせるように努めればいい。

なにか嫌なことがあれば、その嫌なことを少しでも減らせるように努めればいい。

このように、今自分が感じている苦しみや、課題を具体化して、現状を少しでも楽にさせるという思考にシフトすれば、余計なことを考えずに、日々を淡々と生きることができる。

もちろん、これは簡単なことではない。

ただでさえパニックになりやすい私が、自分の理性を保ち、冷静な判断と行動をして生活しなければならないからだ。

しかし私は、今は割りとそのような生活が以前よりもできている気がする。

これは、勉強や趣味など現実逃避をすることなく、少しつらい思いをしても自分の内面に目を向けることを忘れなかったおかげだと思う。

自分の内面に目を向ければ、自分のしたいことや、そのためにすべきことが少しずつ見えてくる。

例えば私の場合、とにかく現実から逃げるために勉強に打ち込んでいたが、それは自分のしたいことではなく、ただ思考停止して強迫的に「やらねばいけない」と信じていただけだったのだ。

このような動機でやっていれば、目標を達成するしないに関わらず、充実感ではなくただむなしい気持ちが残るだけだ。

内面に目を向けた次は、外の世界で少しアクションを起こしてみる。

コンビニの店員に「ありがとうございます」と言う。道にゴミが落ちていたら拾う。

このような些細なことから私は始めていった。

本当に小さなことだが、私はこれによって「人とのつながり、社会とのつながりを感じ取れて、人への恐怖心も少し薄れてきたと感じている。

一年前は大学も休んでいたこともあったが、今では大学も順調に通えていて、授業の内容も面白く充実した生活が送れてきていると感じている。

今回は、私の今抱えている精神疾患が、私の人生にどのような影響を及ぼしてきたかを整理した。

もう一度いうが、この記事では「パニック障害のせいで俺の人生が狂った」とか言うつもりはない。

パニック障害があったおかげで学べるものや出会えた人もいるので、むしろ感謝しているくらいだ。

自分語りの記事になってしまったが、少しでもオモシロイと思ってくれれば嬉しい。

それでは。

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