近況報告や雑談など【生活/ゲーム/メンタル/ダメ人間】

その他

久しぶりにブログを更新しようと思う。

だが毎日、YOUTUBEをダラダラと見て食って寝るのが中心の生活をしているだけなので、テキトーに近況についての雑談をしていく。

ゲームに飽きてきた

私ももう20歳。家に引きこもってゲームをするのにもだんだん飽きが来てきた。

特に、一人でゲームをしようとはもう思わない。誰かとおしゃべりをしながらやるのならまだしも。

競技性があり、集中力を要するFPSを中心にやっている私だが、もう「ランクを上げるぞ!試合に勝つぞ!」みたいな高校球児ばりの熱量はなくなってしまった。

この年齢にもなると、ゲームで現実逃避をしようにも、どうしてもリアルの課題が直面してくる。

人間関係、将来の不安、学校、親との仲、メンタルの問題。

今まで先送りにしてきた”人生の課題”というのが一気に押し寄せてくるのだ。

そのツケを払わなければやばいという危機感。だけれども何からシたらいいのかわからず無意味に毎日をダラダラと過ごす。

ネットの友達とコミュニケーションを取っている間は、共同体感覚というか、集団に属している感覚に浸れるので安心できるが、一人になると何もできない。

スキルアップの勉強をするわけでもなく、情熱を注げる趣味があるわけでもない。

ただゆらゆらと、インターネットの刺激に対して反応するだけ。

これから私はどうなってしまうのだろう。

心の問題

こんな卑屈で生きづらさを抱えている私だが、メンタルクリニックの予約をまたすっぽかしてしまった。

客観的にみて、私が心の問題を抱えていることはわかりきっている。だから医療の力を借りて病院にいかなければならないのに、それすらもできない。

あまりにも怠惰を極めすぎているだろう。

パニック発作は健在で、今も外出して人混みなどに紛れると、動機、冷や汗、腹痛などの症状が出ることもある(前よりかは収まってきた気がするが)。

また、トラウマの発作もあり、「電話の音がなっただけで、強烈な不安と恐怖に襲われて、身動きが取れなくなる」、「誰かが階段を登る音がするだけで、胸が苦しくなってドキドキする」などの症状もある。

正直、親への憎しみは、年齢が上がるとともに募るばかりだ。

私にはまだ親への執着がある。手放したいけど手放せない。忘れたいけど忘れられない過去。

親からの数々の暴言、暴力、精神的虐待。

親が嫌いなのは勿論、親を未だに恨んでいる自分も嫌い。

この憎しみがいつか爆発して、なにか犯罪やテロという形で社会に悪影響をもたらさないか非常に心配である。

いつか自分が壊れてしまうんじゃないか。テレビに出るような犯罪者と同じような人間に自分はなるんじゃないか。

今は住む家があって、お金があって、精神と身体の健康を保てているが、それもいつまで続くかわからない。

私は自分で生きることができないので、いつか自分は壊れてしまうだろう。

その”いつか”が来るカウントダウンがもう始まっていると思うと、本当に怖い。

俺は人とのつながりを求めている

そんな人生に対して悲観的で諦めを感じている私だが、まだかすかに希望を感じている部分はあるのだ。

それが「人との関わり」である。

私達の内面を構成しているのは、遺伝的要因もそうだが、環境要因も大きい。

周りが暗い人間ばかりだと、自分も暗い人間になる。

孤独で誰からも愛されず支えられない人間は、メンタルが弱くなる。

対して、周囲から愛をもらい、支えてくれる人間に囲まれて生きている人間は、メンタルが安定して、失敗してもすぐ立ち直れる可能性が高いだろう。

つまり、環境によって、人は精神的健康を手に入れることができるし、社会的成功、いわゆるお金に余裕があり生活を充実させることもできるわけだ。

だからこそ、私は人とのつながりを求めている。

不純な動機かもしれない。他人任せかもしれない。

でも、「誰かに救われたい」と思うことは、そんなに悪いことだろうか。

SOSの声もあげれず、自分で積極的に行動をしない自分でも、「助けてほしい」と願うことは自由だ。

だから、沢山の人と関わって刺激を受けて、自分自身も変わりたいし、自分がきっかけで変わっていく人も世界にいてほしいと思う。

温泉で疲労回復

やはり生きているだけで人間はつかれる。

特に現代人はインターネットの刺激に毎日のように触れているので、ぼーっとする時間などないだろう。

人々は暇さえあれば、スマホの視覚的刺激を積極的に取り入れて、ただでさえ疲れている自分の脳を更に疲労させる。

端から見たらバカに思えるかもしれないが、現代人のほとんどはスマホ依存症である。

電車に乗れば、楽しくなさそうな顔でスマホに釘付けになっている地獄のような風景が広がっているさ。

私も例に漏れずインターネット中毒なので、非常に身体が疲れやすい。

特に長時間座ってPCやスマホを触っていると、肩と腰が凝り固まる。

なので最近、その疲れを癒やすためにスーパー銭湯に行ってきたのだが、これが最高だった。

ジャグジーでボゴボゴと身体を押して、凝りをほぐす。

そして室内の温泉に軽く浸かって、身体の芯から癒す。

そして最後は露天風呂で、外の空気と風景に触れながら温泉に浸かってフィニッシュ。

サウナと水風呂も入ったが、よくわからなかったので割愛。今度行くときは、サウナの作法なども学んでから行きたいと思う。

温泉の回復効果はすごい。身体が軽いし、全身の老廃物がこそぎ落とされたような気分になる。

これで1500円は、安上がりに感じてしまうくらいだ。

ちなみに私が通っている温泉はこちら。

東京巣鴨の極上癒し温泉「SAKURA」(サクラ) | 東京巣鴨の極上癒し温泉SAKURA,染井吉野発祥の地に立地する癒しの天然温泉、お勤め帰りのOLの方も是非ご利用下さい。
load_template( TEMPLATEPATH.'/archives.php' );load_template( TEMPLATEPATH.'/indexbanner.php' );loa...

巣鴨駅から徒歩10分程度で着くので交通面から見ても便利だし、時間帯によっては、都会とは思えないほどの静寂の中で、温泉、食事、マッサージなどを堪能できるので、ぜひ行ってみてほしい。

人間らしい生活ができればいい

私はとにかく人間らしい生活ができればいい。

自分の得意なことで人の役に立ちながら、お金を稼ぎ、そのお金で生活を成り立たせる。

趣味もほどほどに楽しみつつ、気の合う友人と週に2~3回遊ぶ。

困難を一緒に乗り越えられる仲間や恋人とともに、人生を歩んでいく。

今これを読んでいるあなたは、「理想高すぎだろ笑」と思うだろう。

だけど、私はこんな”普通”が”理想”と化している社会は、もう腐りきっていると思う。

私達の普通は普通じゃないのに。苦しいのに苦しくないふりをしている人々。

こんな世界で暮らしていたら、価値観がバグるのもおかしくない。

「今生きている人は全員間違っていて、さっさと死んじまったあいつらのほうが正しかったんじゃないか」と思うことだってある。

まぁこの命がある限りは、自分をごまかしながら生きていこうと思う。

このような「どう生きるべきか」という議論はやっていてもクソみたいな結論にしかならない。

生きる以上は、生きるしかないのだ。

クソみたいな私の記事をここまで読んでいただいて感謝する。

それでは。

コメント

タイトルとURLをコピーしました