【至難】友達0のぼっちが、学校生活を最大限に楽しむには?

人生論

ぼっちが人生において最初にぶつかる壁というのはやっぱり学校で、

私自身も学校生活で色々と苦しんだ経験が多かった。

しかし、基本的に私たちは小学校、中学校、高校とに通い、集団の中でどうしても生活せざるを得ない状況になる。

どうせ学校に何年間も通うならば、少しでもストレスなく楽しく過ごせたほうが良いだろう。

そこで今回は、ぼっちが学校生活を最大限楽しむ為に意識しておくべきことを紹介する。

この記事はこんな人にオススメ

まず前提として、この記事は、「友達は0だけど、不登校にならずに学校に通いたい」と思っている人に向けて書いた記事であることをご理解いただきたい。

ぼっちでも「学校には最低限通いたい。そして、ぼっちなりに一人を楽しみながら学校生活を送りたい。」と思う。

では早速、本題に入る。

ぼっちが学校生活を楽しむには、感覚をバグらせる必要がある。

そして、本題のぼっちが学校生活を最大限楽しむためには、「感覚をバグらせる必要がある」ということ。

この感覚をバグらせるというのは、「みんなと仲良くしなければならない」という雰囲気から抜け出して、「友達がおらず、1人であることが快適」という感覚をデフォルトにするということだ。

というのも、ぼっちは最初は寂しいと感じるものだ。

私も今でこそ、一人であることが快適に感じるし、その生活を満喫できているけども、

ぼっちになった最初の頃は本当に地獄だった。

だから、まずはこの「感覚をバグらせる」という壁を乗り越えられないと、ぼっちは学校生活を最大限楽しむことができないと思う。

その上でのステップ、考え方を今回は紹介していく。

教室は電車の中である

まず最初に伝えておきたいのは、「学校の教室は電車の中と同じである」ということ。

学校のクラスというのは、同じ年齢の子どもがランダムに集まって構成されたものだ。

電車の中も同じ。

色々な人が本を呼んだり、友達と話したり、スマホをいじったり好きにやっている。

ここで私は何が言いたいのかというと、

「無理してクラスメイトと仲良くなる必要はない」ということ。

そもそも人間には相性というものがあるし、1人でいたければそうすればいいし、友達が作りたい人なら作れば良い。

しかし学校教育では「みんな仲良くしよう」というか、集団の中で少しでも孤立しようとすると、出る杭は打たれる用に「空気読めよ」とか「クラスで団結しようよ!」とか言われる(特に行事の際。)。

だが、電車の中で急に、「この車両の中にいる人はみんな仲良くしましょう!スマホいじりとかはやめて隣の人に話しかけてくださーい!」と言われたらどうだろうか。

おそらくそれは非常に不快なことだし、「なんでだよ。好きなことさせろよ。」となるだろう。

学校でも同じことで、日本の学校教育特有の「みんな仲良く!」という同調圧力が根強くある。

それに流されないように、「自分はこうしたい!」という信念というか、一貫性をもつと、

結果的に自分にとって有意義で楽しい学校生活を送れるようになるのだ。

学校はクソガキが支配するクソガキ王国である。大人は無意味。

また、学校というのは、先生が支配する場所ではなく、同年代のクソガキが支配している王国であるということだ。

その中で生きていくので、ぼっちは当然、時にはクラスメイトから変な目で観られたりすることもあるだろう。

しかし、そんなことを気にしてはいけない。

他人の目を気にしていても窮屈なだけで、自分のやりたいことができない。

同年代のクソガキに変な目で見られようと別にあなたの人生に何の影響もないので、そこで無理して「変な目で見られないように、このような行動はもう少し控えよう」とか考える必要はないのだ(人に迷惑をかけているような言動は別だが)。

子どもの時期は多感なので、他人にどう思われるかのようなどうでもいいことを深く考えがちだが、

学校はクソガキが支配するクソガキ王国なので、そんな小さな環境の中でどう思われようと、今後の人生に何の影響もないことを理解してほしい。

周りと同じである必要はない

そう、結局何が言いたいのかというと、ぼっちであることは別に悪いことでもなんでもないのだ。

「1人は寂しい、悪いことだ」とネガティブな「イメージを植え付ける学校教育という名の洗脳は、根深い。

あなたがぼっちでつらいのは、「ぼっちでいてはいけない。」という強迫観念があるからなのだ。

周りの人と同じである必要はない。

多数派の人間が必ずしも正しいとは限らない。

みんなでワイワイするのがするのが好きな人もいれば、私たちのようなぼっちであることのほうが気軽に感じる人もいる。ただそれだけのこと。

自分なりの時間の使い方を考え、それにそって自分で考え行動できれば、ぼっちでも多少は楽しい学校生活を送れるのではないだろうか。

好きなことに全力投球しまくる

学校に対しての基本的な考え方を伝えたところで、ここからは実践編。

ぼっちにとって学校は本当に退屈だ。

特に休み時間と放課後。

しかしこの時間に伏せ寝をしたり、ただボーッとしてるだけでは、楽しい時間の使い方とはいえないだろう。

だからまず、ぼっちには、自分が没頭できる趣味を見つけてほいいのだ。

学校での暇な時間はその趣味に時間を使う。

渡しの場合は、ラノベをを読むことに集中していた。

やはりなにかに没頭している時は周囲の目なんて気にならなくなるし、何よりその時間自体が有意義なものになる。

学校によってはスマホOKな学校もあるので、ブログを書いたり、ゲームをしたりアニメを観たりすることもできるだろう。

それが有意義な時間の使い方だ。

逆に、趣味がないぼっちにとって学校は地獄だ。

ゲームでも何でもいいので、自分の好きなことを頑張ってみることは、ぼっちが学校生活を楽しむ上で非常に重要な要素だなのだ。

「逃げる」ことは悪いことではないと認識する

そして最後に、「どうしてもつらい時は逃げても良い」ということ。

この記事では「友達0のぼっちが最大限に学校生活を過ごす方法」を紹介してきたが、

やはり「ぼっちであること」を許さない学校という環境では、ぼっちはメンタルを病みやすい。

だから、「やっぱり学校つらい!もう嫌だ!」と思ったのなら、それは身体が限界を迎えているサイン。

そんな時はとにかく逃げよう。親や先生の言うことは全て無視して画稿を休むのだ。

メンタルが疲れている状態で学校に行っても、精神状態は悪化する明かり。

先述した通り、周囲の人間の言うことに振り回されず、自分ファーストで休むことも時には重要なのだ。

できるなら別室登校か、不登校で中途半端に行く方が良い

そもそも、学校という環境がぼっちに適していないことはなんとなくわかると思う。

だから、ぼっちは別室登校ができるなら別室登校ができるならそうした方がいいし、定期的に学校を休みながら、留年しない程度に無理せず登校することも選択肢のうちだ。

今回は「ぼっちが、学校生活を最大限楽しむ考え方」を紹介した。

かなり挑戦的な試みだったので、納得いかない部分も多かっただろう。

しかし、そんな中でもぼっちの生きづらさを軽減してあげたいという思いでこの記事をかいた。

参考になれば嬉しい。

それでは。

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