私は現在大学にも行っておらず、バイトもしたこともなく、社会に出たことがないただのガキなのだけれど、
将来に対して漠然とした不安を抱えているので、改めてこの資本主義社会でどう働くべきかを考えている。
その中でインターネットや書籍を読んでいると、この「働き方の損益分岐点」という書籍に出会った。
この書籍は非常に内容が濃く、すべての内容を要約することは出来ないので、今回は主に、日本企業の給与体系と、労働力の価値にフォーカスして解説する。
少し難しい内容だが、非常に有益な内容となっているので、この記事を読んで興味を持った方はぜひ書籍を実際に手にとって読んでみてほしい。
この記事はこんな人にオススメ
- 毎日働くのがつらい人
- 今の仕事環境に不満がある人
- 自分の給料がどのように決まっているのかを知りたい人
- 将来の仕事について漠然とした不安がある人
労働者の働き方
まず、現代社会における一般的なサラリーマン、いわゆる労働者は、自分の働き方について考えたことはあるだろうか。
働き方改革なるものが提唱され、短時間労働を目指したり、労働者にとって都合の良いような美辞麗句を並び立てているが、
それはすなわち「残業を削減しろ。でも成果は維持しろ。」、「だから、とにかく生産性を上げろ。」と、労働者により激務を強いているのではないか。
と本書では苦言を呈している。
たしかに、単純に労働時間が短くなれば労働者は快適に働けるのかというと、そうでもない。
ストレスを取り除く働き方を整備する
そもそも私たちが仕事を語る上で、労働時間という一つの尺度で判断はできない。
労働環境、人間関係、そして上司からの精神的攻撃にも似た指導など、色々なストレスに晒されている労働者が多くいる。
そんなストレスに晒されているといずれ心身は壊れるし、これが日本の幸福度の低下にもつながっているのだと思う。
働き方改革なんて、国の偉い人間が自分の都合の良いように定めた、表面的で無意味なものなのだ。
日本企業の給料の決まり方
さて、現代社会に生きる労働者の多くが、毎日ストレスを抱えながら働いているという現状がある。
しかし、国や政治に愚痴を言っていても何も変わらない。
その上で私たちがすべきなのは、自分に適した働き方を見つけるためにはどうすればいいのかを考えることだ。
ただ、私はここで「会社をやめて独立しよう!」とか「投資家になろう!」というつもりは一切ない。
労働者という立場で適切な働き方をするためにはどうすべきかを考える。
そのためにはまずは、労働者が毎日働いて、その対価として得ている給料について考えねばならない。
労働者の多くは、毎日の生活費、つまりお金を稼ぐために働いているからだ。
言い方は悪いが、「この仕事にやりがいを感じて、給料がなくても働きたい仕事に出会えた!」なんて人はいないだろう。
当たり前のことだが、私たちは、お金を稼ぐために仕事をしているのだ。
日本企業の2種類の給与体系
さて、長い前置きはさておき、本題の給料の決まり方だが、これには2種類ある。
それが必要経費方式と、利益分け前方式だ。
それぞれ順に解説していく。
必要経費方式
まず必要経費方式についてだが、これは単純に言うと、「社員が生活するのに必要なお金を算出して、その分を支払っている。」ということだ。
ここでおさえてほしいのが、この必要経費方式では、「生活に必要なお金しかもらえない」ということ。
日本の伝統的企業の多くがこのような給与体系に基づいており、「その社員がいくら会社に利益をもたらしたか」などの成果、業績と給料は全く無関係だということだ。
日本の多くの企業がこの給与体系を採用しており、これが今の働き方に不満を抱いている労働者が増える原因にもなっている。
利益分け前方式
生活に必要なお金しかもらえない必要経費方式に対して、
自分が稼いだ利益の一部を給料としてもらうという利益分け前方式を採用している会社もある。
この方式はシンプルでわかりやすいが、
言い換えると、自分が利益を上げられなければ給料は減る。
自分がどれだけ頑張ったとかは関係なく、成果が出せなければ、それなりの給料しかもらえない。
この利益分け前方式における給料の基準は、社員の上げた成果であり、それ以外の基準はない。
高年収になれば生活は豊かになる?
さて、ここで給料の決まり方についてざっくり開設してきたが、ここで多くの日本企業に努めている多くの人が、前者の必要経費方式で働いていることに気づくだろう。
つまり、多くの人が働いている日本企業(必要経費方式の会社)においては、
どんなに努力して会社に利益をもたらしても、基本的に給料は変わらないのだ。
では、どうすれば給料は上がるのか。
その前に、「給料が上がれば生活は豊かになるのか?」という問いについて考えてみたい。
「豊かになるに決まってるだろ!給料が上がるんだから。」と反論したい気持ちもわかるが、冷静になって考えてみてほしい。
実は、年収が高ければ高いほど生活に余裕ができるとは限らないのだ。
「いや、それは贅沢な生活をしているからお金に余裕がなくなっているのでは?」
と考えるかもしれないが、実は違う。
自分自身の生活を振り返ってみてほしい。
学生の頃と比べて収入は何倍になっているだろうか。
大学生がアルバイトで稼ぐお金の平均は年に30万円ほどだそうだ。
それに対して、社会人の平均年入は約400万円ほど。
単純に比較すると、日本人は学生の時と比べて10倍以上稼いでいるということになる。
私たちは収入が数年前と比べて何倍にも増えているにもかかわらず、生活に余裕がないと感じているのだ。
問題は会社ではなく、労働者自身にある
ではなぜ「給料は上がっているのに生活に余裕が感じられないのか。」
例えば、隣の青い芝生を見て転職をして環境を変えようとする人がいる。最近でも書店に行けば転職に関する本がいっぱい並んでいる。まさに転職ブーム。
しかし、労働者は篆書校などをする前に考えるべきことがあるのだ。
それは、今仕事について抱えている問題の本質は、必ずしも会社の給与体系や条件にあるわけではないということ。
もっと根本的な資本主義の仕組みを理解し、そのうえで自分がどうするかを考えていかねばならない。
私たちが生活に余裕を感じられないのは「自身の働き方」「給料の構造」「仕事に対する満足感」などにある。
決して、「A社はダメだからB社に転職だ!いやC社だ!」などと、会社ばかりに目を向けて、自分自身の働き方に目を向けずに、すべて会社に責任転嫁するのは間違っているのだ。
そこで考えてほしいのが、労働力の価値である。
次章で詳しく解説していく。
使用価値と価値
労働者が適切な働き方を目指す上では、給料の構造を知る必要がある。
その上で欠かせないキーワードが2つある。
それが「使用価値」と「価値」だ。
使用価値
使用価値とは、「その商品やモノを使ってみて意味がある、何かの役に立つ。」という意味だ。
使用価値を持つのは商品だけではない。
拾った小枝を集めて焚き火ができたら、その小枝には使用価値を持つということになる。
私たちは日頃、この「使用価値」の意味で「価値」という言葉を使うことが多いのだが、ここでは全く別の意味で定義される。
例えば、パンの使用価値は、食べた人の空腹感を解消することだ。
人がパンを食べて空腹を満たすことができるからこそ、パンは使用価値を持つのだ。
そのモノを使ってから生まれるもの。それが使用価値だ。
価値
次に「価値」というキーワード。
これは「使用価値」は異なる概念なので混乱しないでほしいのだが、
この「価値」の意味を正確に把握することが給料の構造を理解するためには必要だ。
物の”価値”は、「それを作るのにどれくらい手間がかかったか」で決まる。
つまり「労力がかかっているもの」「人の手がかかっているもの」が「価値を持つ」のだ。
例えば、パンに価値があるのは、「職人が朝から仕込みを初めて、時間をかけて焼き上がる」という手間がかかっているからだ。
逆に言えば、とりあえず人の手がかかってさえいれば、どんなものにも「価値がある」と言えるのだ。
また肝心なのは、「価値の大きさ」には、その商品が有益化どうか、自分にとって嬉しいかどうかは無関係だということだ。
労働力も商品である
使用価値と価値の概念をなんとなく理解してくれた前提で、労働者の給料の構造について深掘っていく。
まず、一般的な商品の決まり方について。
例えば、コンビニのおにぎりの値段の決まり方は、原材料と労力の合計で決まる。
原材料は、ご飯、のり、具、調味料、パッケージビニール。
そして、それらを作る価値、すなわちそれらを作る労力。
これらが合算されて、コンビニおにぎりの値段が決まる。
これを労働者に置き換えて考えてみよう。
まずは、労働力を作るために必要な原材料。
それはなにか。
労働力というのは物質ではない。よって、労働力を「形作っているもの」も存在しない。
しかし「何があれば、私たちは労働力を売ることができることができるか?」という視点で見るとイメージしやすい。
「労働力という商品を売ることができる」ということは「働ける状態にある」ということ。
つまり、労働力を作るということは、今日一日働いて「エネルギー0」の状態から、翌日も働けるように「エネルギー100」の状態にまで充電させることだと考えられる。
これを「労働力の再生産」という。
つまり労働力の価値とは、「労働力の再生産」に必要なモノの「価値」の合計なのだ。
具体的に例を出すと、
労働者は、翌日も働けるようになるためには、食事を取り、家で寝て休まねばならない。
また、衣類や、気晴らしに飲みに行ったり、家族や友人と連絡を取るラメの携帯電話も必要だ。
これらすべてを合算したのが労働力の価値であり、
労働力の価値も商品として、コンビニのおにぎりと同じ理屈で決まるのだ。
まとめ:労働力の値段=給料
労働力という商品の価値は、一般的な商品と同じように決まる。
そして、労働力という商品の値段も、他の商品と同じように、使用価値ではなく価値がベースになって決まる。
労働力という商品の値段とは、すなわち給料のことだ。
ここで最後にあらためて問いたい。
「なぜ、あんなに頑張ったのに給料は大して上がらないのか?」
「なぜこんなに成果を上げたのに、給料が大して上がらないのか?」
給料が「労働力の価値」を基準として決まっているのであれば、どんなに頑張っても「価値」が変わらない限りは、どれだけ成果を上げても給料は変わらないということになる。
ここでまた「成果を出していれば社内でも昇給するし、転職をすれば給料は上がっていくじゃないか!」という反論もあるだろう。
しかし、成果を出している人は、多くの企業から「需要」される。
そのため、需要過多になって、労働力の値段が上がっていくのだ。
給料が上がっているのは、決して成果を出しているからではない。
その証拠に、会社に対して2倍の利益をもたらしている人が、2倍の給料をもらっているかというと、そんなことはないはずだ。
2倍の利益をもたらしている人は「引く手あまた」なので「需要と供給の関係」から給料が上がっているだけなのだ。
以上、日本企業のおおまかな給料の構造を把握できたと思う。
その上で私たちがすべきことは何か?
それは、労働力の価値を上げることだ。
そのためには、仕事を遂行するためのスキルの習得、資格試験の勉強、読書などの自己投資が、労働力の価値を上げることにつながる。
すなわち「その仕事ができるようになるための準備」に費やした労力が、労働力の価値として加算されるのだ。
例えば、医者の給料が高いのは、医学部受験という狭き門をくぐり抜け、大学に入った後は医師国家試験に向けて猛勉強をして時間を費やす。
これが「医者」になるための準備であり、労働力の価値を高める行為である。
労働力の価値が高まると、給料が高まるのは勿論、いわゆるアルバイト的な時給労働から脱することにも繋がるのだ。
以上、この記事では日本企業の給料の構造について解説した。
それでは。
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