この時代、「自分の頭で考え続ける」ということが難しくなってきているような気がする。
情報化によって人々は落ち着いて考えたり検討したりという時間が少なくなり、
何でも答えを出してくれるインターネットの普及によって、人々は自分で思考することなくそこに答えを求めるクセがついている。
このように、文明の発達によってますます複雑化している一方で、現代人は考える機会を失ってきている。
こんな時代だからこそ、自分にあった意思決定をして納得の行く人生を歩んで幸福に過ごすためには、「考える」ということをやめてはいけない。
今回は、そんな「本質的に考える」ことのノウハウが詰まった良い本を見つけたので紹介する。
最適解は出さなくてよい
私達が考える上でまず頭に入れておかなければならないことは、「最適解を出さなくてもよい」ということだ。
そもそも、世の中の問いには、資格試験の勉強と違って、答えが一つと決まっているわけではない。
むしろ答えがない問いの方が世の中には多い。
その中で自分にとってベストな答えを出すことは不可能だ。
まずはあるところまで考えて、「まだベストとはいけないけど、ベターのレベルには達しているな」と思えたら、どんどん外に出していくことだ。
外に出すとは、アウトプットすること、行動に移すことだ。
頭だけで考えても、実世界でその思考をもとに行動に起こさなければ意味がない。
一旦、ベターな答えが出たのなら、行動に起こしながら軌道修正していく。
それが思考の基本である。
疑う
次に、考えることの第一歩について述べていく。
それは、「疑う」ということである。
そもそも、私たちが考えるときがどのタイミングかを考えてほしい。
「なんかこれ違うんじゃないか?」「この言葉はどういう意味か?」など、
何かしら引っ掛かりを感じて、疑いを持つときではないだろうか。
つまり、考えることの第一歩は疑うことなのである。
ただ、「疑う=否定する」ということではない。
どれだけ信用している人でも、その人が発する言葉に対してなんの疑いも持たずに聞くことは、ただの思考停止である。
疑うことのポイントは3つである。
・言葉
最も疑うポイントは、相手が発する言葉である。
そもそも、相手の言うことがわからないだとか、議論に食い違いが出るとき、大体の場合は、言葉の定義が曖昧なときである。
言葉に引っかかりを持つことができれば、政治家の聞こえの良い薄っぺらい言葉に騙されたり、人間関係で話しているときにすれ違いが起こることも少なくなる。
特に、テレビや電車の広告や、街頭演説などは、ビッグワードを使って人を引き付けて利益を儲けようとしている。
だからこそ、言葉に引っ掛かりを感じたら、その言葉の定義を確認する。
そして自分の頭で考えて主体的に行動することが自分の身を守ることに繋がるのである。
・数字
何か主張したいことがあるときに、「△△している人は、なんと日本人の〇〇%いるのです!」
と言われると、何も言わずに信じそうになってしまうだろう。
数字を示されると、それが絶対的に正しいと思いこんでしまいがち。
しかし、わたしは、「数字ほど疑うポイントがわかりやすいものはない」と言いたい。
例えば、
「アメリカには「lawyer」と呼ばれる人が約100万人いるが、日本で「弁護士」と呼ばれる人は約1万2000人しかいないので、日本はもっと弁護士を増やすべきだ」
という主張があるとする。
ここで数字を疑う視点を持つと、真実が見えてくる。
- ①まず、アメリカと日本の人口は2倍近く異なり、アメリカの方が人口が多い。
- ②次に、アメリカにおいて「lawyer」と呼ばれる人は、弁護士だけではなく、行政書士、弁理士、さらに企業の法務部で働くひとも含まれる。
以上の2点において、「日本人の弁護士はアメリカより少ないとは言えない」ことがわかる。
・社会の常識
次に、社会の常識である。
社会には、「この場面ではこうするべきだ」という常識がある。
そういった社会に浸透した常識の前には、私達は無意識に従って思考停止しがち。
特に日本は横並び思考が強く、大多数が「よい」と思うことほど、集団の雰囲気に影響されて判断してしまう空気が非常に強いので、
なかなか自分でも思考停止していることに気づきにくい。
一度立ち止まってみると、
「この常識には従う必要があるのか?従わずに自分のしたいようにしたほうが有意義かつ幸福なのではないのか?」
と引っ掛かる時が来るかもしれない。
「知・情・意」をバランスよく育てる
「考える」というと、感情に左右されず、直感に頼ったりすることもなく、
知性や理性だけに基づいて、物事を論理的に組み立てていくこと。
そう思っている方も多いことだろう。
しかし、それは違う。
人間には「嬉しい」「悲しい」「ああなりたい」「〇〇されたい」などの感情がある。
感情に論理は存在しない。
このように、人間が考えるには、知性だけでなく、感情や意志といったものも大きな役割を果たしているのだ。
この状態を表した言葉が「知・情・意」である。
知・情・意
- 「知」とは、知識や知恵、知性のこと。
- 「情」とは、感情、感性、感覚のこと。
- 「意」とは、意志、意欲、意地など、「こうしたい」というやる気にかかわる部分を指す。
私たちがものを考えるとき、このように「知・情・意」の3つを互いに連携させながら、より良い答えを導こうとしているのだ。
私たちが考える力を身につけるためには、この3つをバランスよく育ていく必要がある。
どれか一つが欠けていたり、あるいはどれか一つが突出していたりという状況では、物事の本質を、見抜くことは難しい。
例えば、知識だけで物事を解決しようとすれば、ひたすら理詰めで考えて、情のかけらも感じられない。
そのようなやり方では、人間が関わる問題においては、人を傷つけることになりかねない。
まずは理屈ではなく感じること
振り返ってみてほしい。
自分が何かを考えるとき、そこに心を動かされる体験が存在していることが多かったのではないだろうか。
物事に対して、感情や感性が揺さぶられていくことで、思考が始まっていく。だからこそ、考えるには、まず感じることが大切なのだ。
今自分がいる場所、体験していることを、頭で考えて理屈でのみ理解しようとしない。
まずは、自分から出てくる「楽しい」「悲しい」「嬉しい」「つらい」といった気持ちを素直に感じることだ。
感情を抑圧して知性だけで解決しようとしてはいけない。
まとめ
本書では、物事を本質的に考えるためのノウハウが詰め込まれている。、
視点を移動させてみたり、様々なことを疑う。
また、知識をつけ、感情を揺さぶり、意欲を高めることで、
人生における問いに対して適切な答えを出せるようになるだろう。
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