ぼっちにとって、学校という環境は地獄でしかない。
そこで今回の記事では、学校生活で苦痛だった瞬間を、私の体験談を交えながら語っていこうと思う。
ぼっちの方は、この記事を読んで共感していただき、それ以外の方は「あのときずっとぼっちだったやつってこんなに苦しんでいたんだ…。」と同情していただけると嬉しい。
さすれば当時の惨めな私も報われる。
昼ご飯、給食の時間
まずは昼食の時間。
一般的には、中学校までは給食。高校からは弁当持参だろう。私もそうだった。
給食は地獄。私の学校では、机をこんな感じで突き合わせて食べるのだが、これがつらい。
会食恐怖な部分があるので、ご飯を口にいれるだけで、怖くて恥ずかしくてたまらない。
また、女子も交えて、飯を食いながら会話もしないといけないし、ぼっち陰キャにとってはタスクが多すぎる。
普通の人にとっては、給食の時間は「友達と一緒にご飯を食べながらおしゃべりする楽しい時間」という認識だろうが、私にとっては真逆。
ご飯も食べれないし会話もできないし、ただただ疲れる時間。
その点、高校からは気が楽だった。
中学のように、机を突き合わせてグループで食べることを強制されることがない。
また、弁当を食べるも食べないも自由。
対人恐怖、会食恐怖のダブルパンチがあった私は、弁当を親から渡されても、他人からの視線がある教室の中では食べれなかった。
なので、家に帰ってから、一人でアニメを観ながら食べていた。。。
勿論、お昼時間のあとの5限目と6限目はお腹が空いて勉強に集中できなかったし、ただただ「早く帰って弁当が食べたい;;」という感情しかなかった。
この「他人の視線がある場所でご飯を食べることができない」という症状は今でも治っておらず、人とご飯を食べに行くのにまだ抵抗がある。
本当は食事を楽しみながらおしゃべりしたいのに…。
移動教室
次に移動教室。
移動教室は、別にクラスメイトに聞かなくとも、「英語はA教室、数学はB教室」というように、あらかじめ決まっているので、それを紙にメモって常にそれを持ち歩いていれば、移動教室で迷うことはなかった。
しかし、問題は「緊急で教室が変わる場合」である。
このとき厄介なのが、「明日の移動教室はC教室になります」という連絡を、私が休んでいる日にしていたり、クラスラインでしている場合である。
このとき、当然私にはそんな移動教室が変わる情報は耳に入っていないので、わかるわけがない。
このせいで私は移動教室がわからず、最初の頃は頑張っていろいろな教室を走って周って確認したり、移動するクラスメイトの後ろをストーキングして移動するということをしていた。
しかし、この方法にも限界は来る。
時間的制約もある中で、いちいちすべての教室を回ることなど不可能だし、
クラスメイトをストーキングする方法についても、そのクラスメイトが体調不良で保健室に行く場合もあった。
なので、最終的には「もういいや。教室わからんし帰ろ。」とあきらめたりしていた(その結果退学することになったのだが)。
私にとって移動教室は、「友人と喋りながら教室を移動する」ものではなく、ただの「次の授業が行われる教室を当てろ!ゲーム」だった。
なんだこの地獄のデスゲームは。
ここで「クラスメイトに教室の場所聞けよ」という声が聞こえてきそうだが、そんな事ができていたら、私はコミュ障になどなっていないし、高校を中退しているはずがないのである。
メンバー、ペア決め
ぼっちを語るうえで外せないイベントの一つ「メンバー、ペア決め」。
ペア決めは、色々な場所に突発的に行われるので、回避できないのがポイントだ。
体育、英語のコミュニケーション、修学旅行や委員会のとき。
これらの時間は、ぼっちにとってトラウマになる時間ではないだろうか。
ペア決めは、偶数のときは強制的にペアが完成するのでいいが、奇数のときは公開処刑。
先生と組むときもあったし、優しい陽キャグループが同情して「3人でやろーぜ!(スカイピース風)」と言ってくれるときもあった。いずれにしろ、恥ずかしすぎて死にたくなった。
周囲の視線も集まるし、何もできない受動的な自分が嫌になる瞬間でもあった。
今この記事を書きながら、当時の記憶が蘇ってじんましんが出るほど、ペア決めはトラウマである。
もうこの記事を書くのやめたい(涙)。
休み時間
お昼休みの長い休み時間は、各々が好きなことをして過ごす。
中学の頃の私は、定番の「机にうつ伏せ寝たフリ戦法」でずっとやり過ごしていた。
今振り返れば、あの時間は一人でもいいから好きな本を読んだり、なにか絵を描くとか勉強をシたりなど、時間を有意義に過ごせたのではないかと思う。
ぼっち諸君に言いたいのは「寝たフリは絶対にやめろ」ということだ。
時間の浪費でしかない。
睡眠欲もないのにただただ下を向いて、現実から目を背ける行為。非常に惨めで愚かな行為だ。
何かをしていよう。勉強でもいい。文章をかくでもいい。絵を描くでもいい。
やれることはたんまりある。
ぼっちの休み時間は、どうせやることがないので、「やることを模索する時間」にしていこう。
なんか自己啓発書っぽくなってしまったが、とりあえず寝たフリはまじでやめてほしい。
今後の人生に関わるレベルの悪癖だ。
放課後
帰宅部エースの私は、放課後は家に直行。だが、劣等生でバカな私は、放課後に居残りで宿題をやらされることもしばしばあった。
見た目はインキャで、勉強もできそうな見た目のヤツが、放課後に一人教室に居残って、宿題をしている。こんな惨めで悲しい構図があるだろうか。いや、ない。
つらい。早く帰ってゲームしたい、アニメ見たい。ご飯食べたい。
その一心だった。
勿論、宿題をシない私の自業自得ではあるのだが、ぼっちの放課後居残りはきつかった。
特にきついのは、放課後に教室で遊んでいる陽キャグループが、ジロジロ俺の方を見てきて、「信之助(俺の本名)くん、あれ何やってんだろ、、、帰らないのかな、、、w」とコソコソ話しているのが聞こえたとき。
被害妄想の幻聴の可能性もあるが、とにかくあの瞬間はきつかった。心の中のリトル信之助は「居残りで宿題してるんだよ!お前らはよ帰れや!」と思っていた。
宿題
宿題というのは、わからないところなどがあれば基本的に友だちに聞いて解決していくものだ。
しかしボッチは全部一人でやらないといけないから面倒くさい。
ぼっちが意外とバカで劣等生な理由の一つに「友達がいないから、わからないところがあっても聞けない」というのがある。
これはかなりデカい。
わからないところがあっても、それを友達に効くことができないので、宿題も提出できず成績は悪くなり、「劣等生」の烙印を押されて、その評価を本人は内面化していく。
「俺は頭が悪いんだ」と自己評価も悪くなり、ますます陰キャ化していく。
そして努力することが嫌いになり、自分磨き(勉強、筋トレ、その他の自己研鑽)を怠るようになり、世間では「チー牛」「弱者男性」などと揶揄されるようになる。
まさに「ぼっちの悪循環」である。
あまりにもグサグサ刺しすぎて、読者諸君では死亡者もすでに出ているかもしれない。
安心してくれ。私のHPはもうすでにない。寿命の前借りをしながら、なんとか命を削ってこの記事を書いている。
授業で当てられたとき
生徒たちの喋り声で騒がしい教室でも、突然ふっと静まり返る瞬間がある。
それは授業で、教師から私が指名されたときだ。「これ解いてみて」「これ音読してみて」
私が口を開けば、教室はなぜか静まり返る。
なぜだ。なぜこんなときだけ静まり返るんだ。ナギナギの実の能力者じゃないんだから。
頼むから、お前らが静かになることによって、俺の声が余計教室に響き渡るんだよ。そしてもっと緊張してしまうんだよ。
やはりボッチは、息づく暇もない。不安と緊張の中で、学校という国の中で生きていかなければならない。
普通の人ならなんなくできることでも、ぼっちにとっては猛獣と対峙シているときと同じ程度のストレスを感じてしまう。
彼らは平気そうな表情をシているように見えるかもしれない。
しかしそれは違う。
あまりにもストレスが多すぎて、表情が硬直してしまっているだけだ。
どうかお願いだ。「あの人無表情で感じ悪い」とか「真面目そうなのにバカなんだね」とか「なんで会話しないの?」とか言わないでほしい。
弱者に寛容な世界になることを祈って、この記事を終わろうと思う。
ここまで書いてて死にたくなる記事は初めてだ。
それではまた…(息を引き取る)。
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