私のような毒親育ちは、幼少期から親から悪い影響を受けているので生きづらさをかかえやすい。
人間関係が上手くいかなかったり、心を病んだり、生きている実感が希薄になったり…。
これはすなわち、親の呪縛から脱却して、自立ができていない状態にあるといえる。
そこでこの本は、その自立をするために必要なことと、毒親によって及ぼされる悪影響などが具体的に説明されている。
抑圧
大人になって心を病んだりする人の多くは、子供時代に親に受け入れてもらえなかった人だ。
親に受け入れてもらえないと、子供はその雰囲気を敏感に感じ取り、不安と恐怖を感じる。
すると、子供は親の望む感情だけを持ち、親の期待に反する感情を持つことを自分に許さなかった。
そして、生きている実感をなくして心を病んでしまうのだ。
毒親育ちにはこの感情の抑圧というクセが大人になってもずっと続いている。
感情の貧困化
こうやって感情を抑圧していると、自分が今どう思っているのかを素直に表現することができなくなる。
つまり、感情が貧困化してしまうのだ。
感情が貧困であると、それを誇大に表現することで、なんとかその自分の感情を豊かにしようとする。
例えば、映画を観て感動する。しかし、心の底で感動しているかというとそうでもない。
だが自分は感動したと言い聞かせるために、「自分はこの映画に感動した!」と、大げさに表現する。
やっていることが楽しくなければ楽しくないほど、そこに意味や理想を求める。
私の場合はこれが受験勉強だった。
本当はやりたくもないし、やったその先に得られたものも特にない(私にとっては)。
しかし、必死に「受験勉強したら大きく人生が変わるぞ!」と、自分を言い聞かせ、親の言うがままに勉強していた。
そして、受験勉強をしていない人を見下したり、勉強ができない人を軽蔑するような差別意識を持つようにもなっていた。
これは、自分の無価値感に打ち勝つためだ。
人間は、心の底で本当に信じていないことを信じようとすると、言動が大げさでわざとらしくなってしまうのだ。
毒親の劣等感
そしてこの感情の貧困化は、親から子供に影響するので、もちろん、親の感情も貧困化している。
親の感情が貧困化していると、まず言動が大げさでわざとらしくなってしまう。
例えば、自分の子供にやたらと「愛しているよ~。」とか「大好きだよ~」と言ってくる母。
これは私の母なのだが、私はこの「愛している」という言葉を素直に受け取ることができなかった。
嘘はついていないのかもしれないが、どうにもその言葉に重みが全くなく、大げさに感じた。
そして次に、親の感情が貧困化していると、親はやたらと他人の生き方に心理的に関わっていってしまう。
私の母親は、テレビで芸能人やタレントが話していることに対して「可哀想な人だ。」「この人はけしからん。」などとゴチャゴチャ言っていた。
おかげで、母がいる場でお笑い番組やバラエティ番組を観ることはなくなった。
このような人間は、他人をあるがままにしておくことができない。
他人が自分の生き方を素晴らしいと認めないと不満になる。
つまり、他人は自分にとって愛情の対象ではなくて、自分の生き方を称賛してくれるものとしての意味を持っているのだ。
自分の劣等感から他人を必要としている場合と、愛情から他人を必要としている場合とは、まったく異なる。
このような親に育てられると子供が心を病んでしまうのは当然であろう。
毒親は空っぽな人間
しかし毒親は、他人に依存して、言動が幼く、劣等感が強い、空っぽな人間なのだ。
その人の中には何もない、ということである。
しかし、子供という弱い立場にいる人間にとっては、その空っぽで何もない人間が強大なものに見えてしまう。
毒親は自分の家庭の理想像をおしつける
また毒親は、自分の持っている理像の家庭像がある。
その家庭像を強引に相手に押し付けている。
そして、本人は押し付けていることに気が付かない。
それは理想の人生についても同じである。
「このように生きるのがただしい」という自分のイメージを押しつける。
子供がこういった押しつけをされると、「母の言う生き方をしないとダメだ。」と、歪んだ強迫観念に駆られて不安になり、自分のやりたいことがわからなくなってくる。
親は人生のすべてを悟ったように「このように生きるのが正しい」と言うが、人生に正解はない。
また、人生は一直線の道にはなっていない。
危険な道や、歪んでいる道もある。しかしそれを子供自身が考えて選び、歩んでいくのが人生だ。
子供は親の操り人形ではない。
毒親「私は息子以上に息子のことを知っている」
そして毒親は、「自分の子供のことは、子ども以上によく知っている」という謎のおごりがある。
だから、子どもが自分のやりたいことを主張すると、「あんたには〇〇があっている」と、親の価値観で物事を決めて、子どもの意志を尊重しない。。
子どもが、自分とは関係ない子ども自身の世界を持っていることをどうしても理解できないのだ。
「なぜ自分は生きているのか?」という疑問
自分の生きている意味が感じられず、「なぜ自分は生きているのだろう。」とふと思うことがあるだろう。
これは今の私がそうである。
何か「生きる意味」「生まれた意味」を求めて、本を読んだり、考えてみたりもするが、当然答えは出ない。
なぜならば、そういった疑問を持っている人間には、最初の章で述べた「抑圧」が未だに残っているからだ。
幼少期の記憶から、自分の親を内面化して、親が関係ないところでも、「親」の存在を強く意識してしまう。
そしてその不安と恐怖、葛藤などが心のなかで渦巻いていき、「なぜ自分は生きているのか?」という疑問に行き着く。
この問いに対する答えを求めようとすればするほど人生は空洞化する。
なぜなら、その答え自体はどこにもなく、自分の「親への恐怖と不安」が内面化されているだけの話だからである。
今自分が観ている世界は、現実のあるがままの世界か、それとも自分の内部に隠蔽された不安や葛藤を投影したものにすぎない虚像の世界か?
それを考える必要がある。
本などを読んでも、永遠不滅の真理や答えなどは見つからない。
新しい世界は外にあるのではなく、私達の心の中にあるのだ。
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