大人になってから感じる生きづらさの原因は、幼少期にある【書評】

毒親

今の日本には「生きるのがつらい」という悩みを抱えて、日々を鬱々とした気分で過ごしている人が増えている。

その原因も分からないので対処の仕方もわからない。

そこでこの本では、そんな生きづらさの根本的な原因を、「幼少期の親からの愛」に焦点をあてて解説している。

「生きるのが辛い」の根本的原因

生きているのがただひたすら辛い。

この原因は何なのだろうか。

本書では、「心理的に成長せずに社会に無理やり適応しようとしているから」だという。

これを本書では”五歳児の大人”と呼んでいる。

そんな五歳児の大人の、精神的未熟さから、私達の生きづらさは来ているというのだ。

心理的に成長して、その結果として社会的に適応しているのと、

心理的に成長していないのに、無理に社会に適応しているのとでは、まったく違う。

前者は心から生きることに喜びを感じている。

しかし後者は、精神が5才児なのにもかかわらず社会的立場と責任が課されるので、ひたすら毎日が辛い。生きるのが辛い。

やるだけやったという経験がない

小さい頃、どろんこ遊びをしたいだけすれば、どろんこ遊びは卒業していく。

少年時代に、たとえそれが奇妙な格好でも「したい格好」をすれば、奇妙な格好は卒業していく。

心理的に健康な大人は、何事も興味からはいって、満足して、それらを卒業しきた人々だ。

しかし、五歳児の大人は、すべてを我慢してきた人たちなのだ

だから、小さい頃の欲求が未だに満たされていない。そんなモヤモヤした気持ちを抱えている。

それと同時に、五歳児の大人は、他人に厳しいという特徴がある。

なぜなら、自分はあれだけ我慢しているのになぜあの人はやりたいことをやっているんだ!と不愉快に思うからである。

普通、人は自分がやりたいことを他人がやったとき、それを許す。

しかし、ずっと我慢させられた人は、他人のワガママを許さない。

心理的に健康な人は、生きていることが楽しいし、他人に優しくできる。

五歳児の大人はその逆である。

我慢している子は、我慢していない子が許せないのだ。

精神的未熟さ

五歳児の大人とは文字通り、社会的立場や責任はあるが、精神は5才児と同じということ。

つまり、無責任に快楽を求めて生きる子どもの能力しかないのにもかかわらず、社会的には責任ある立場に立たされてしまう。

子供の心のままで、大人らしく生きられるように頑張るが、できない。

だから生きるのが辛い。なぜ自分が生きているのかわからなくなってくる。

関心を持たれずに育つとどうなるか

幼い頃の欲求がずっと心にある五歳児の大人。

五歳児の大人は、幼い頃から親に積極的に関心を持たれる経験が少ない。

衣食住などの世話はしてくれたものの、親子の深いスキンシップや信頼関係の構築ができていないことが多い。

そうなると、相手に関心を持つことが非常に難しい。

関心を持たれて育った人にしてみれば、子どもに限らず相手に関心を持つことは自然なことである。

別に努力をして関心を持つ訳では無い。自然と関心を持つ。

しかし、関心を持たれないで育った五歳児の大人にしてみれば、相手に関心をもつことは苦しい努力を要する。

五歳児の大人は、自分一人が生きていくのが精一杯なのだ。

自分の心の葛藤を解決できないまま、必死に毎日を生きている。

この幼少期からの親からの愛情不足というのも、五歳児の大人の生きづらさの原因の一つだ。

甘え

五歳児の大人は、幼い頃に親に甘えるということができなかった。

例えば、不登校の子どもがいいる。

その中には、母親が「一緒に行こうか」といえば、行ける子どももいる。

こうした子どもにとっては、誰と行くかが問題なのであって、好きな母親という甘えられる対象がいるなら学校に行く。

しかし、本格的な不登校の子どもには、好きな母親がいない。

キライな母親が「一緒に行こうか」といったところで、行く気にはならない。

このように、どんなに苦しくても、最後に「おかーさーん!」と言える大人は、幸せなのだ。

そういった人は、どんなに辛くても生きていける。

お母さんに限らず、友人、恋人など甘えられる対象が存在するからだ。

しかし苦しいときに、母親のいない五歳児の大人は「おかーさーん!」と心のなかで叫びながら死んでいく。

無条件で甘えられる人間がこの世界にいないのだ

宗教の強さ

しかし、そんな母親の代わりとなる強い力を持つものがある。

それが宗教だ。

人間の甘えという欲求は、満たされなければならない。

甘えの欲求を満たされないでいることは、お腹が空いても何も食べないことと同じである。

人は自覚なしに甘えの欲求を満たす。

拗ねる、ひがむ、ぐずる、妬むなどは、みな甘えの欲求を満たそうとしているのである。

「誰も私の気持ちをわかってくれない」というのはよく聞くが、これこそ甘えている証拠である。

辛いときに甘えることができる母親的存在がいないから、人はなにか嫌なことがあると、「先生が悪い、社会が悪い、親が悪い」と他人を責めなければならなくなる。

五歳児の大人の心の底には憎しみが宿っているのだ。

では、この世に甘えられる存在がいなければ私達はそのかわりを求める。

それが宗教である。

これは別に〇〇教の信者という意味ではなく、もっと広義的な意味での「心の拠り所」となる意味での宗教だ。

例えば、アイドルを推すことが宗教な人もいるだろうし、絵を書くことが宗教の人もいるだろう。

このように、宗教とは五歳児の大人の満たされない”甘え”の欲求を満たす上で非常に大きな役割を果たすのだ。

まとめ

五歳児の大人がすべきことは、自分に今何が足りていないのか、自分は今何を欲しているのか。

それを、自分の過去を振り返りながら理解していくことだ。

五歳児の大人は、その時その時で解決すべき課題を積み残しにして、ここまで来た人々だ。

それは恥ずべきことではない。むしろ、五歳児のこころのままでここまで生きてこれたことに自信をもっていい。

今回は、【おとなになりきれない人の心理】という本について記事をまとめてみた。

本記事を読んで興味を持った方は、ぜひ一度手にとって読んでみてほしい。

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他にも毒親に関する記事を書いているのでよければそちらも読んでいただきたい。

それでは。

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